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新自由主義と女性の健康

 2008-04-01
毎年、1月下旬には、毎年スイスのダボスで世界経済フォーラムが開催され、世界のごくひと握りの金持ちたちが世界のことを決めることがなされてきました。G8は、むしろこのダボスの手先に過ぎず、高所得国がダボスで決めたことの足並みをそろえるための手段に過ぎないともいえるでしょう。
この世界経済フォーラムに対抗して、もうひとつの世界は可能だ、をスローガンにして、世界社会フォーラムがこの時期開催されています。2007年はケニア・ナイロビでの世界社会フォーラムWSFに参加してきましたが、2008年は東京の「あらかわ」でWSF1.26グローバルアクションが開催され、すぺーすアライズも事務局としてお手伝いをしました。

WSF1.26グローバルアクション

《連載2》
WSFがWSFらしくあるために

すずきふみ
すぺーすアライズ

● こんにちは。

ついに1月になりました。1.26の事務局をしている鈴木文です。私は、ケニア・ナイロビで開催された2007年の世界社会フォーラム(World Social Forum;WSF)に参加し、「2008WSFあらかわ1.26グローバルアクション」の事務局を担当させていただいています。私の2007年の世界社会フォーラムの参加の感想については、アフリカ日本協議会発行の『アフリカNow 76号』の「WSFは異性愛・男性中心主義から脱却できるのか」というWSFの批判もある論考や『女たちはどこにでもいる』という、女性運動、女性の人権や健康の視点からのWSF2007参加報告・資料集(すぺーすアライズ発行。1月26日当日、会場で販売予定です)をご覧ください。

私は、仕事の中では女性に対する暴力や女性の財産権の課題などに取り組んでいます。いくつかの自助グループや小集団の運営に携わってきました。SRS性別適合手術を利用した後は、2005年には「SOSHIREN・女(わたし)のからだから」のメンバーの人たちとインド・ニューデリーで開催された「第10回女と健康国際会議」に参加し、そこで、新自由主義やグローバライゼーションと女性の健康の関係について多くのことを学びました。

 以下の記載は1.26の事務局としての見解ではなく、個人的見解ですが、個人的見解にとどまらず広く理解が得られるとうれしいです。WSFにかかわっていること=女性運動にかかわっていることになっていく、新しい流れができることを願っています。

● 新自由主義と私

私が育った時代には、既に「新自由主義」は存在していました。

世界経済フォーラム・ダボス会議が1971年に始まり、先進国(というべきか、植民地政策と戦争と経済的搾取による高所得国)が足並みを乱さないように監視・拘束するためのサミットもその後まもなく始まりました。私の学生時代には、レーガンやサッチャーと足並みをそろえる中曽根政権について「中曽根を泣かそうね」という言葉がはやっていたものの、不気味に静寂な時代を過ごしました。

 この新自由主義は、何なのか。臆病でわがままで貪欲な一握りの金持ちがしでかしていることと片付けてよいのか。私が常々思っているのは新自由主義と同じ顔を持つのは、多国籍企業や先進国だけではないということです。もちろん、現状の新自由主義は肯定できるものではありませんが、誰もが自身の足元を見直し、新自由主義と同じ仕組みを自分の身近なところからなくしていくことが必要です。

● 女たちは管理される人口ではない

ここで私がかかわっている活動と新自由主義との関係を振り返ってみます。
たとえば、言葉自体を好きではありませんが「人口問題」。遡ること、1974年ブカレスト会議では、先進国が途上国の「人口爆発」で自国の贅沢が続けられなくなることを危惧して、途上国と対立しました。この頃の途上国は「新国際経済秩序(NIEO)」を提唱し、国にとしての経済成長には人口増加が必要と、他国からの人口抑制策に反発。ここでも、対立したのは、南と北であり、女の健康や権利が関心の対象になったのではありませんでした。
しかし、1984年には、多くの途上国も人口抑制に乗り出しました。そこには女の身体や意思への配慮はまたもやありませんでした。(このメキシコでの政府間の人口会議に異議を述べるため、世界中にアムステルダムに女性たちが集結し、Women Global Network for Reproductive Rightsを結成しました。日本からも私がスペースアライズで活動をともにしている麻鳥澄江さんらSOSHIRENのメンバーたちが参加しました。)

1980年代には、途上国の中での格差が広がり、経済開発を優先して海外からの投資に頼った貧しい途上国は累積債務問題で苦しみ、「新国際経済秩序(NIEO)」どころではなくなり、これに先進国の新自由主義が南の開発にも援用され、多くの途上国は自国の公的サービスを縮小し、たとえば保健・医療・教育・福祉を切り捨てることになりました。貧しい女性たちはそのしわ寄せとして犠牲になりました。

● 女たちが生き延びるために

現在、世界で1分に1人の女性が妊娠・出産を原因として死亡していますが、その99%は途上国で起きています。しかも保健システムの崩壊により、低所得国では、この20年間に妊産婦死亡が増えており、当時の傷跡がいまだに残っているのです。(2007年10月には妊産婦死亡を減らし、安全な妊娠中絶の利用ができるような世界をつくるための国際会議にも参加してきましたので、ご関心のある方は日本弁護士連合会発行『自由と正義2008年1月号』「女性が生き延びられるために世界ができること」をご覧ください。女性の人生に重きが置かれず、安全な妊娠中絶が利用できず、債務の帳消しと保健システムの利用の障壁が大きいということなどは早急に解決されるべき課題です。)

さて、1994年の国連人口開発会議ですが、これは女性の性と生殖に関する権利「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」(女(わたし)の身体は私のもの)について国際合意をとりつけた会議として評価されていますが、貧しい人々に未来への希望を示す社会構造自体の変革の影が薄く、同時に開発という視点から人口抑制、富者の負担を軽減するマルサス主義を払拭しきれず、新自由主義につけいる余地を大きく残し、その結果、その後の10数年の間にさらに保健システムは、保険セクター改革と称して、金がなければ利用できない民営化がされてきました。女性の健康のために必要な若い女性や妊娠する女性への医療・保健、女性へのHIV予防やケアが軽視され、またね女性の健康に携わる人材の確保もできていません。

 21世紀を記念して発表されたミレニアム開発目標(MDGs)についても、今後の目標達成に向けて高所得国の責任に期待しつつも、枠組みとしては高所得国の足元を見直さない、抜本的な解決をもたらさない現状の微修正に過ぎないといえるでしょう。

● 女性を軽視する新自由主義

ただ、公的サービスは縮小しても、警察・軍隊という公権力は拡大しました。公権力の監視は、新自由主義は全ての人に権利や自由を認めるわけではなく、特権がある人の権利や自由や安全や健康を守るため、社会の中心からはじき出された人たちには自由がなく、犠牲になってもよいという発想です。貧しい女性たちや途上国の女性たちは、子どもを産まないように、HIVをはじめとして感染症を(ケアや治療を利用できることよりも)うつさないように、人に危害を加えないように、と監視の対象になり、従順であることが求められます。

新自由主義体制での資源をめぐる戦争の拡大も、女性の人権や健康を侵害しました。紛争下や紛争後の性暴力の多発や保健システム崩壊によるリプロダクティブ・ヘルス/ライツの侵害などです。

さらに、妊娠中絶は妊産婦死亡のうち、統計上でも13%を占めているのですが、妊娠した女性本人が悩んで決断したものであり、法律や刑罰による妊娠中絶の禁止はあってはならないことです。望まない妊娠の原因の半分以上は男性にあるはすです。しかし、植民地であった国々は宗主国の中絶禁止法を引きずり、また、1979年イランでのイスラム革命に代表される男女役割、女性の犠牲を統治・統制に悪用しようとする宗教原理主義の影響により、そして、1984年(クリントン政権では廃止されていましたが、2001年ブッシュ政権で復活した)のアメリカ合州国の価値観を他国に押し付けようとするメキシコシティ政策(グローバル・ギャグ・ルール)なども、新自由主義と一体です。

共和党とこれを支える1979年創設のモラル・マジョリティは、新自由主義を支える文化をつくってきました。ある特定の人たちの価値観を実現するためには他の人に押し付け、犠牲にしてもよい、金持ちにとっての選択が尊重され、そうでない人の「選択(と多様性)は敵だ」という考え方が、ベトナム戦争や経済危機やオイルショックで臆病になった人たちの心の隙間を埋めました。金持ちだけでなく、社会への不満の捌け口を求める人たちをも吸収しました。現・ブッシュ政権の政策も、この路線を引き継いでおり、価値観の押しつけを伴う保守主義は「思いやりのある保守主義」とも呼ばれますが、これほど迷惑なものはありません。

(このような状況は日本の状況とも結びついています。妊娠中絶に対して刑罰で対応する堕胎罪の存在や近時の産科システムの崩壊の傾向や医療における格差など、変えなければならない課題にはきりがありません。)

● 新自由主義の価値観はどこからきたのか

私は、この新自由主義を支える価値観の原点は家父長制であると考えています。途上国の中でも活動体・共同体の中でも、それぞれの文化や宗教があります。私は文化や宗教が人生に豊かさを付加し、人生の補助線ともなりうると考えていますが、同時に文化や宗教は、(ジェンダーやセクシュアリティを含む)性や暴力について多くの押し付けを含むこと、そしてジェンダー不平等、女性に対する暴力、強制的な性行為・性暴力に甘くなりがちなことには注意が必要です。この視点を欠いた活動や文化・宗教の尊重は、その結果にあまりにも無神経といえるでしょう。たとえば女性に対する暴力は、身近な人間関係でも多発していて、女性の身体・健康だけでなく、学校や職場での安全を奪うため教育や労働の機会を奪います。さらに、女性の相続権や財産権の欠如や女性の貧困も、女性が男性との性関係で不利な立場に置かれ、暴力やHIV感染の危険にさらします。

● 視点を据えなおす人々はどこにでもいる

ジェンダー不平等、女性に対する暴力、強制的な性行為・性暴力、など世界中に横行しており、このような事実を他人事として捉えるのではなく、残念ながら社会変革をとなえる活動体の中にも根深く残っている事実はみなが心に留めておくべきことです。これまで女性運動は多くの成果を実現してきており、その成果に敬意を払いつつ、社会運動の中で女性の尊厳、女性の生きる権利、健康への権利などが主流化されなかったことについて、社会運動全体が問題意識を共有すべきだと思います。

新自由主義の背景にある、保守(化)への雪崩へ導く大きな(そして往々にして単純な)物語にどう対抗できるのでしょうか。私たちが必要としているのは、何かを犠牲にして、踏み台にする対抗する大きな物語ではないはずです。大きな物語は常に排除を伴います。単一の物語や価値観、ルールしか認めないのは、結局は強者の自由や権利しか認めない新自由主義の真似事をしているに過ぎないのです。対立があっても乗り越え、多くの運動と連帯しつつ、社会の仕組みを変えていくことが必要です。

かつての人口と食糧の世界的危機感の扇情の対象は、いまや気候変動に移行しつつあり、新たな金儲けのシステムにもなっています。確かに気候変動への対策も必要なことですが、このような新たな大きな物語の影で、犠牲にされ、潜んでしまう物語りがあることに目を配る必要があります。一人ひとりの女性が誰もが価値がある存在、生きていてもよいのだと認められる社会をつくっていくことが不可欠です。

● 2008WSFあらかわで、新しい出会いがあることを楽しみにしています。
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